そこで、危機的な状況にあるイタリアについて、そこで生活している一人として、新型コロナに関する記録的なものを残してみようと思っています。
この状況にイタリア人がどのように対処していくのか、どう反応したのか、ということについても。
情報源は政府や省庁のサイトと、メジャー全国紙「Corriere della sera」「Repubblica」「Il Sole 24 ore」ぐらいにして、何の影響力もないブログとはいえ、いい加減な情報を垂れ流さないように気をつけようと思います
3月8日:ロンバルディア州と周辺14県を移動制限区域に
3月8日(日)未明に、ミラノがあるロンバルディア州と、周辺の14県(provincia)から他の地域への「出入り」を制限するという決定がありました。
世界的な観光地であるミラノやヴェネツィアを訪れたり、そこに住んでいる人がそこから出たりできなくなるということです。参照:https://www.corriere.it/cronache/20_marzo_07/coronavirus-province-cui-si-potra-entrare-uscire-solo-motivi-gravi-02b4f172-60a7-11ea-8d61-438e0a276fc4.shtml
最初の感染者が出たコドーニョという町とその周辺の11自治体は厳しく封鎖されましたが、今回は封鎖ではなく「移動制限」という言い方が正確かと思います。
健康上の理由による移動などは認められており、物流などがストップされるわけではないようです(この政令が決まったばかりのときは、このあたりの詳細がまだはっきりしていなかった)
「封鎖」というとやっぱり武漢のような状態をイメージするので、ここの言葉の使い方は慎重になる必要があると思います。
自分が住む地域も
私が住むところもこの移動制限地域に含まれています。
日曜日の未明に決まったことで、朝起きてニュースを見て「あ〜」と思いました。
この1〜2週間は状況が悪化する一方だったので、最悪の事態も想定しておかねば、という心構えはあったのでそんなには驚きませんでした。
でも、最初に封鎖された11の自治体の人たちは、(結果的には)突然、爆発的な感染が確認され(2月22日)、即時に封鎖が決まったので本当に大変だろうと思います。
3月7日:ミラノからの「脱出」
この政令が決まったのは3月8日(日)未明でしたが、前日7日の夜には政令案として出ていて、メディアにも流れていました。
ミラノには、他の地域、特に南イタリア出身者の人が多く、この政令が正式に決まればミラノから出られなくなり、自分の故郷へ帰れなくなってしまいます。
移動が制限されてしまう前に、言わば危険地帯であるミラノを脱出して、比較的安全な、そして何より愛する故郷に帰って安心したい。。
イタリア人の郷土愛は日本人の想像を越えるもので、こう考える人が多くいたことは間違いありません。
参照:https://www.tgcom24.mediaset.it/2020/video/coronavirus-esce-la-bozza-del-decreto-la-fuga-da-milano_15849788.shtml ←再生前の広告表示が煩わしいので注意
翌日にも政令が決まりそうという中、脱出できるのはこの夜のうちだけ。。
まさに「Last minute」で、なんとか「最終電車」に乗り込もうという人たちと車掌のやりとりなどが映っています。
友人Aのミラノ「脱出」
友人Aは、私が住む町の出身で、大学時代からミラノに住んでいます。大学時代もほぼ毎週末、実家に帰ってきていて、このあたりやっぱり日本人と感覚が違うようです。
移動制限の政令案が翌日にも通りそうだという情報がメディアに流れ始めた7日の夜、急遽くるまでミラノを脱出して実家に帰ってきました。
「電車はけっこう混乱があったみたいだけど、道路は意外にも渋滞していなかった」
と言っていました。
★
この「Last minute」なミラノからの脱出を見て、まだ比較的感染者が少ない南イタリアではこう反応する人もいました。
「自分が感染者であるかもしれないとも考えずに帰ってくるなんて自分勝手な! これでは北から南へウィルスを運んで帰ってくるようなものだ!」
(おわり)